2024年夏からEIL高校生交換留学南アフリカ派遣プログラムに参加している小野真心さん。今回、ご自身の留学体験を多くの方と共有したいと、レポートを書いてくれました。
今回は、ケープタウンの気候やタウンシップ(スラム街)、10月あったご自身の誕生日について書いてくれました。第2回のレポートは前編・後編に分けて公開いたします。ぜひお楽しみください!
英語力と学校生活
7月2日から始まった南アフリカの生活も4ヶ月半が経過しました。いろいろと生活全般についてはだいぶ馴れたと思います。しかし、1回目のレポートを書いた2ヶ月前と比べると肝心の英語力については毎日勉強しているにも関わらず、これといって上達しているという実感は無いままです。OBOGの体験談の平均で見ると、そろそろ夢も英語で見て寝言も英語になる時期のはずなのですが自分にその傾向は残念ながら見られません。リスニング力は若干上がっている気がしますし、発音も最初に比べればほんの少しまともになっているとは感じます。ですがスピーキングはまだまだ言いたいことが伝えられません。発音の次は自分の基本的な文法力のなさに気が付き、これがまた余計自分のイライラを増幅させています。圧倒的な語彙力の無さに加えて、課題が余計浮き彫りになっただけの2ヶ月間でした。焦りが募るばかりですが、こればかりは勉強を継続するしかありません。次のレポートの時にこそ良い報告がしたいです。
学年が変わるのが日本は4月ですが、こちらでは1月なので、今ちょうど1年を通しての総復習である最終試験が始まったところです。前回のレポート同様数学は楽勝ですが、他の科目は私には辛いものです。たとえ留学生は試験で赤点を取ったとしてもなんのペナルティも課せられませんが、私は頑張ってやれるだけ勉強して臨んでいます。
やはり1番の難敵は英語でのエッセイです。最悪だったのは、範囲がとある小説本丸々1冊で、文章が1節抜き出されており、この時はどんな様子だったのかを最低250words以上で説明せよ、といったものです。まず試験中その本を読むことは許されていないので、抜き出された箇所が小説のどの部分かも分からなかったため、まさかの0文字も書けずに終わりました。仕方なく私は諦めて他のできそうな詩の問題を必死に解きました。エッセイをスラスラこなすことは今の自分にはかなり難しいと思いますが、次回のテストでは一文でも書けるように励みたいと思います。
次に、学生のテストに対しての日本との違い。これは学校によるとは思いますが、日本の学校ではテストの日の朝学校に行くとほどんどの人が勉強をしていますが、今の学校では朝はみんなゲームをしていたりふざけて騒いでいます。私はあれ?今日はテストの日だよな?違ってたかな?と不安になります。もちろん中には勉強をしている人もいますが、大多数の人が勉強に対しての意識が日本とくらべると低いと思います。白人主体の高校の方が私の通っている黒人主体の高校に比べ、大学進学に力を入れていて、通常のテストや宿題のノルマが厳しい傾向があると聞きました。クラスで、卒業したら何になりたいの?と周りに聞いても、「分からない、何も決めてないよ」と答える人が多く、大学進学率は極めて低いと感じました。友達は「とりあえず旅行にきたい、その後1、2年、進学のための勉強をしようかなー」などと言っていて、やはり年齢的な期限や制約が多く、やや競争を強いられがちな日本の学歴に関する意識や教育の相違を感じました。正直、心配になる反面、私は彼らの余裕のある自由な考え方が少し羨ましくもあります。
もともと私が在籍する日本の学校は帰国生や留学生が多く多言語が飛び交う環境でした。中学生で英検2級は当たり前、高校生では1級が珍しくないような世界でした。私はそんな中で英検を受験すらしたこともなく(何なら日本語も怪しく)英語が1番の苦手教科でした。コロナ禍が明けかけたころ、留学がしたい!と急に思い立ち、いざ留学試験を受けるにあたりその時になって初めて、『あ、自分は英語が苦手だった!』と気が付くという珍しい部類の生徒でした。よってテストに合格するために短期間ですが、部活を休部し英語の猛勉強をしました。思えば、日本の学校に在籍している留学生とも、日本語が流暢な人とは仲良くしていましたが、同じ国同士固まって行動してそちらの言語で話をしている人たちとは距離がありました。カタコトでも頑張って日本語を話そうとしている人には好感を持っていましたが、あまり積極的に仲良くしようとはしていなかったことを後悔しています。帰国したら自分がしてもらったように、留学生に気を向けて接してみようと思っています。南アフリカはイタリアやフランス、ベルギーなどヨーロッパや、ケープタウンには特に南アフリカ国内の別の地域からの留学生が多く、常につるんでいる人たちももちろんいますが、たった1人の英語もアフリカーンスも話せない日本人の私にもとても寛容に接してくれます。もし近くに日本人がいたら自分もつい一緒に行動しようと甘えてしまうかもしれないので、日本人のいないところに身を置けることは期限付きですが逆にとてもラッキーであると感じています。日本の家族とも最低限の連絡はWhatsApp というアプリでとっていますが、全て英語でのやり取りを徹底しています。他国からの留学生は英語はペラペラなので、悔しさを感じることで学習へのモチベーションを上げています。
ケープタウンの気候
訪れたた当初は真冬でだんだんと春に向かっている途中です。気候に関してはとても面白く、1週間の中でも気温30度ぐらいで暑くなる日もあればコートを羽織るような寒い日もあり、もともと風の街と呼ばれるぐらい風は強く、大雨になることもあります。友達は「今嫌な天気でも10分待て、そうすれば変わるから」と言うほど1日の中でも天候がコロコロ変化します。ホストマザーは「ケープタウンの気候は赤ちゃんの機嫌と一緒!と」言っています。1日の中に四季が全部入っているとも言われています。しかし基本は地中海性気候で日本より極端に寒いわけでも暑いわけでもなく、全体的に季節を通じて爽やかで過ごしやすいと感じています。私は気まぐれな温度差のせいか、日本にいる時よりも風邪をひいていますが。
人と言語
前回も書きましたが、本当にフレンドリーな方ばかりです。気が付いたことはバイリンガルが多く、特に黒人の方で昔ジンバブエに住んでいてショーナ語を話せる方がいたり、自分が頻繁に利用するUberで働いている方もなぜか8割型ジンバブエ出身です。とても興味深いです。他にもアラビア語やコサ語を話しながら英語もネイティブ。もともと南アフリカは11言語(ンデベレ語、北ソト語、南ソト語、コーサ語、ズール語、ツワナ語、スワジ語、ヴェンダ語、ツォンガ語、アフリカーンス語、英語)が憲法上の公用語とされていますが、私の周りでは英語が実質的な公用語となっています。訛りについてですが、これは結構バラバラで、親の出身地方などで変わるらしいです。関東と関西弁の違いのようだと解釈していますが、特に黒人の一部の方の発音はかなりクセがあり私には聞き取るのが非常に困難です。南アフリカはレインボーネーション(Rainbow Nation)と言って「虹の国」とも呼ばれていますが、ネルソン・マンデラ元大統領が、異なる人種が融和する国造りを願い、この言葉で表現したという理由が、実際に暮らしてみて、しみじみ多民族国家なんだなあと私は言語面から実感しています。
身を守ること
学校ではタバコ、vapeが当たり前過ぎて、初対面の一言目が「君は喫煙者か?」のことが多いです。しょっちゅう誘われますが、一度断ったらそれ以上しつこく強制されることはありませんし、怪しい雰囲気を感じたら距離を置くようにしています。先日、他国からの留学生のパーティーに誘われ行ってみたところ、ほぼ全員がタバコとお酒で盛り上がっていたので、一瞬で健全ではないと察知し速攻1人で帰宅しました。タブルプレースメント(他国の留学生と同じ家にホームステイすること)の留学生とのトラブルも、本人には口止めされたのですが、私を信用し本当の家族のように受け入れて良くしてくださっているホストファミリーに嘘をついたり、隠し事はしたくないと思ったことと、私は彼の行動が絶対に正しくないことだと判断したのでホストマザーや現地のコーディネーターに相談して情報を共有しました。ノリが悪いと思われるのを恐れてつい流されてしまう留学生の話はよく耳にします。普段自分は常に信頼できる友達と過ごすようにしているので安心です。今月も邦人が街の中心部で集団強盗にあい大怪我を追う事件がありました。特段治安が悪いと思われている南アフリカですが、その国やホストファミリー、学校や受け入れ団体とのルールを守り、危険な地域や人には近寄らず、悪い誘惑には毅然とした態度で断る勇気を持って行動することを心がけるということは、全世界どこの国に留学しても同じことだと思います。その意志が固い人には南アフリカはとてもオススメしたい留学先です。
後編では、実際にタウンシップに訪問した際に感じたことや交換留学生としての役割などについて書いてくれています。後編はこちら!
(写真、文:2024年南アフリカ派遣生 小野真心)
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