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「やりたい」と思ったら迷わず挑戦する 布野亜矢さん(1999年アメリカ派遣)

更新日:11月15日

 これまでに数多くの人たちが高校生交換留学プログラムに参加してきました。OB/OGたちの進路やキャリアは多岐に渡っており、それぞれの分野で活躍し、社会に貢献しています。


 今回インタビューを行ったのは、1999年にアメリカ派遣プログラムに参加された布野亜矢さんです。布野さんは金融業界で2人のお子さんの子育てをしながらお仕事をされています。

 今回布野さんに高校時代の留学経験がどのようにその後の歩みに影響を与えたのか伺いました。

 

「自分も変わりたい」と思いアメリカへ

Q.交換留学プログラムに参加しようと思ったきっかけを教えてください。

 私の年齢では珍しいと思いますが、私の母親が高校生の時にアメリカに留学をしていました。その経験を活かして母は自宅で英語を教えていましたし、10歳の頃から我が家はホストファミリーとして、海外からの留学生をトータル20名ほどずっと受け入れを継続していました。

 特に母親から留学について勧められたことはありませんでしたが、そうした環境で育ったので、留学に「行く」か「行かない」か、ではなく、「いつ行くか」という意識でいました。若いうちに行った方が吸収力の面でも優位に働くと思い、一番早いタイミングである高校1年生で行こうと思いました。

 もう1つ理由をあげると、小中高一貫のカトリック系の学校に通っていたことがあると思います。ほとんど同じメンバーで育っているわけなので、日常で触れている世界は狭いのですが、留学生を家庭で受け入れていたことで、その先に広い世界が広がっていることを知っていました。「自分も変わりたい」「英語くらいしゃべれないと」という焦燥感みたいなものもあって、早く留学に行きたいと思っていました。


Q.派遣国にアメリカを選んだ理由を教えてください。

 英語を話せるようになりたいというのが留学の目的でもあったので、最初から英語圏しか考えていませんでした。自宅で受け入れていた留学生たちがカナダからの留学生が多かったので、最初はカナダを考えていましたが、私が留学した頃はカナダの募集定員枠が狭かったため、確実に高校1年生で留学できるようアメリカを選びました。



「What is "what's up"?!」

Q.留学生活で苦労したこと・大変だったことを教えてください。

 とにかく言葉です。現地事前研修が終わって、1人になった時に、何もコミュニケーションが成立しませんでした。自宅で留学生を受け入れていたこともあって、カルチャーショックやホームシックなどはありませんでしたが、ただただ言葉が理解できませんでした。学校である子が「Hey, what’s up!」って言ってきたのに対して私は意味がわからなくて「What is “what’s up”?!」と返したのは今では笑い話ですが、そのくらい英語がわかりませんでした。


 更に、私が派遣されたのはミネソタ州の人口1,000人の村でした。学校も1学年30人で、そこに私を含めた留学生が4人いるという状態。広い世界に飛び出したはずが、閉ざされたコミュニティに入ることになりました。今はまた異なると思いますが、当時はまだアジア人をよく思わない人たちもいて、いきなり近付いてきて「私のおじいちゃんは日本との戦争で死んだ。」等と言われる体験もしました。アジア人というか英語をしゃべれない人とは付き合えない、といったような人が一定数いたのは大変でした。もちろんオープンな人たちもいて、比率で言うと5:5くらいでしょうか。


 元々バスケットボールを中学生の頃からやっていたので、バスケ部に所属したことで友だちの輪が広がっていきました。アメリカの部活動はシーズン制なので年間ずっと活動していたというわけではありませんでしたが、バスケには救われましたね。やっていてよかったと思いました。


 また、私はホストチェンジ(事務局注※ホストファミリーを変更すること)も経験しました。最初のホストファミリーはいい人たちでしたが、どうしても合わなかったことと、ホストブラザーが勝手に部屋に入ってきてしまうことがあり、結果的にホストファミリーを変更しました。

 私自身ホストファミリー側の立場も経験していたわけですが、やはり自分が留学生側の立場になると、一軒一軒異なる家庭なわけですし、難しさを感じるところはありました。




Q.高校留学で一番思い出に残っていることはなんですか?

 何か1つ大きな楽しかったことがあったというよりは日々の生活が楽しかった思い出として残っていますね。

 例えば、派遣地域が田舎だったので、パーティーがあってもキャンプファイヤーとかなんですよ。どこの家も地下にビリヤード台があって、お菓子を食べたりして過ごすとか。そうこうしてると友だちが「俺の自慢の家畜(豚)を紹介するぜ!」とか言ってきたりして(笑)。

 交換留学仲間として同じコミュニティに滞在していたドイツ人の子とは今でも連絡を取りあう仲です。留学の苦楽を共にし、夜キャンドルを灯して難しい話をするでもなく過ごした時間が今となってはいい思い出です。


 日本での高校生活では、何か1つ力を入れるもの、例えばそれが部活だとすると、生活がそれ一辺倒になってしまうところがあると感じていました。アメリカではみんな様々なことに取り組んでいて、それを楽しんでいました。私自身も学校のミュージカルにちょい役で出てみたり、音楽の授業でピアノを弾かせてもらったり、部活をやってみたり、スペイン語に挑戦してみたりと、色々取り組みました。

 そうした一方で、アメリカでの夕食は自分で料理するのはブロッコリーを茹でるくらいで、ピザとかタコスとかハンバーガーとか冷凍食品とか、とにかく簡易。日本の家庭における夕食では、たくさんのおかずを並べる傾向があるのとは真逆です。

 色々なことに挑戦して、そして手を抜くとこは抜く。「こうあるべき」「こうしなくてならない」という固定概念を捨てて、柔軟に対応するという姿勢はアメリカで身についたと思っています。





自分で勝負したいと思って金融業界へ

Q.高校留学から帰国した後の進路について教えてください。

 将来の夢は色々変わっていましたが、漠然と国際系の学部に進学したいと思っていました。本当は神戸大学の国際人間学部を考えていましたが、進級扱いで高校2年に復学していたこともあり、数学についていくことが難しい状況になっていて、国公立は諦めました。

 また、帰国後はまだ受験までに時間があったこともあってEIL-PIEEアラムナイ(OBOG会)の活動に積極的に参加しました。私自身、留学から帰国して「学校の子たちとは違う」という意識を持っていましたが、アラムナイ活動で出会ったOB/OGたちには本当に衝撃を受けました。話している内容もスピードもすごくて、しかもそれが止まらない。少し年上の大学生のOB/OGたちの話がやはり刺激的で、色々相談にのってもらいながら、将来は漠然と国際的な仕事をしたいと思って関西学院大学の総合政策学部に進学しました。


Q.これまでのキャリア変遷について教えてください。

 濃密な大学4年間を過ごしました。関西学院大学の総合政策学部には帰国子女が多く、良い意味で日本の常識にとらわれない人たちに囲まれながら、活発にディスカッションをしたり、たくさん勉強しました。

 在学中に父が病気になり、2年生の時に亡くなりました。そうしたこともあって、アルバイトにも励み、自分で稼いだお金で長期休暇には海外に行ったりもしました。そうした経験もあり、自分の力で将来を切り開いていきたいという意識が強まりました。

 そうして就職活動が始まり、様々な業種で働く方たちと会い、話を聞きました。金融機関勤務の方が、「自分で勝負をしている」という発言をしていて惹かれました。国際部門で融資をしている方だったのですが、国際的なプロジェクトで物事を動かしているという話は非常に魅力的で、「私もこれをやりたい」と思い、三井住友銀行に入行しました。

 当時、新入社員200人のうち、女性の総合職は10%でした。さらに、3年間勤務した最後の1年は企業調査部に配属されました。企業調査部は銀行の花形部署で、企業の財務分析を行って粉飾決算がないかを見つけるのが職務です。上司や同僚に恵まれ、よい環境でしたが、自分の力不足を痛感することが多く、また、長時間勤務だったこともあって、その後のライフプランを描きづらく、運用業界への転職を決めました。運用業界はスペシャリストの世界で、女性も多く活躍していることを知っており、三菱UFJ投信へ転職しました。しばらくは関西で勤務していましたが、やはり大きな仕事に携わりたい気持ちが強くなり、東京へ異動希望を出しました。結果的に東京に転勤になった後、ほどなくして子どもを授かったこともあって、5年ほどは育児メインで勤務させてもらいました。会社は子育て中の社員への理解があり、業務量が負担にならないように常に気にかけてくれていました。

 第2子も産まれ、そして長女の小学校入学時期が見えてきた頃、小学校受験をさせることにしました。娘に受験をさせるということは、彼女を輝かせるということです。仕事の第一線から離れ、自分の仕事にいまいち自信が持てていないことを自覚した時、「自分に自信がないままで、子どもが輝けるわけがない」と思い、娘を受験させる覚悟と共に転職を決意しました。

 飛び込んだのは外資系の金融ファンドです。よく言われることでもありますが、非常にシビアな世界で、隙を見せたりミスができない、緊張感のある職場で頑張っています。


英語力に勝るコミュニケーション能力

Q.仕事において高校留学が役に立っている点はありますか?

 色々あります。職場の事で言えば、当社の社長はアメリカ人で、副社長は日本人とイギリス人です。顧客は日本企業なので対外的には日本語で仕事をしていますが、社内では外国人幹部に自分の仕事を認めてもらわなくてはなりません。その中で重要なのはやはりコミュニケーションです。

 正直、私の英語力は留学から帰国した17歳の頃からさほど変わっていません。同僚たちは所謂一流大学の卒業生が多く、大学時代に留学経験がある人も多くおり、ビジネスの場での英語は私はまったく太刀打ちできません。

 ただ、ミーティングの前後であったり、ちょっとお酒を飲みに行ったり、職場でちょっとした立ち話をするような時の他愛のない会話は彼らは不得意なことが多いです。実際にアメリカ人と一緒に生活をして、彼らの文化や生活習慣を知っているからこそ、カジュアルな会話や挨拶が可能となり、ビジネスの場でも距離を詰める点においてプラスに働いていると感じています。


Q.高校留学の経験は今の自分に、どのように影響を与えていますか?

 本当に全部ですね。今、2人の子どもを持つ身となって強く思いますが、高校留学は若い時に行くすごく大きな体験だと思います。度胸が必要ですし、1人でなんとかやっていかなくてはいけません。

 留学した人全員がそうではないと思いますが、私の人生そのものが前のめり気味というか、恐れずに前に進むようになったのは、やはり高校留学がベースにあると思っています。実は私は幼い頃は引っ込み思案だったので、今でも母はたまに「どこでこうなっちゃったのかしら?」と言うことがあります(笑)。


Q.留学を考えている高校生にメッセージをお願いします。

 迷っている暇があるならまずは行って欲しいですね。得るものはあっても、減るものはないと私は思います。このインタビューを読んでいる時点で、高校留学に興味があるということですし、決断が早ければ早いほど、自分の人生を良い方向に変えていけるのではないでしょうか。人生において、チャレンジすることで一歩先の自分を掴めると思っています。黙ってくるものだけを待っているより、そうした挑戦と成長が多い人生は楽しいと私は思うので、ぜひ一歩を踏み出してほしいですね。



布野亜矢さんプロフィール

兵庫県尼崎市出身。

百合学院高等学校1年時1999年夏よりアメリカに留学。帰国後、2年次に復学し、関西学院大学に進学。2006年三井住友銀行に就職。2009年4月から三菱UFJ投信に勤務。2018年よりフィデリティ投信に勤務。現在、アソシエイトディレクター。



 

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