和田悠冴さんは2021年EIL高校生交換留学プログラムでオランダに派遣されています。帰国が1か月強に迫り、オランダでの留学生活の様子を書いてくれました。
ホストファミリーとの生活の様子や、オランダの学校で感じた日本の学校との違い、留学での学びなど、多岐に渡って書いてくれました。ぜひお楽しみください!
私は本来、2020年に留学予定でしたが、コロナの影響を考え、プログラムを1年延期してオランダに留学することを決めました。中学時代からの夢であった、高校生交換留学、そして2年間待ち続けたオランダ留学、沢山の期待と共に私のオランダ留学は始まりました。
オリエンテーションウイーク
オランダに到着してから1週間、オランダの首都アムステルダムで、他の国からの留学生とのオリエンテーションウイークがありました。オランダの現地団体主催のもと、イタリア、ドイツ、ベルギー、ブラジル、タイなどからの留学生とアムステルダムを観光したり、オランダの自転車のマナーを学んだり、オランダ語のレッスンを受けたりと、とても充実した最初の1週間を過ごしました。
私にとって初めてのヨーロッパだったので、テレビで見たことのあるようなオランダの街並みに、とても興奮していました。また、オリエンテーションウイークですでに自分の語学力のなさを実感しました。私の渡航直後の英語力はとても高いとは言えず、他の国からの友達とコミュニケーションをとるのにとても苦労しました。言いたいことがあるのに出てこなかったり、みんなの会話にすべて入ることができなかったり、とても悔しい思いをしました。その悔しさから、1年後には絶対に英語、そしてオランダ語を話せるようになって帰るんだと決意しました。
ホストファミリー
私はこの10か月で、2つのホストファミリーを経験しました。初めの5か月半は、Heetenという、隣人が200メートル先に住んでいるような小さな町で、ホストファザー、マザー、2人の年上、年下のブラザー、猫4匹、犬1匹と一緒に過ごしました。私はホッケーを日本にいた時からやっていたのですが、ブラザーは2人ともホッケーをやっており、一緒に庭にある小さなホッケーコートで一緒にホッケーをして共通の趣味で楽しみました。また、年上のホストブラザーは、彼自身が3年前にアルゼンチンで交換留学を経験しており、困った時に優しく話を聞いてくれました。ホストファザーとは、夕飯後の時間のある時に、地下にあるシアタールームで一緒に映画を見ました。ホストマザーは私のために様々なことをアレンジしてくれました。ホッケークラブ、テニスクラブを探してくれたり、オランダ語を教えてくれたり、私がオランダで最高の体験をできるようにしてくれました。平日はみな忙しく、夕飯を一緒に食べる機会も多くはありませんでしたが、日曜日、みんなでそろって朝ご飯を食べるのがとても楽しかったです。ホストファミリー宅には、大きなピザ窯があり、生地から自分でピザを作りました。日本では体験できないようなスケールの大きい体験をたくさんしました。また、一緒に日本の巻きずしを作りました。巻きずしをとても気に入ってくれたようで、巻きずしが簡単に作れるキットを買ってきてくれました。
そして、3月の中旬からはHeetenから15キロほど離れた町で、新しいホストファミリーとの生活が始まりました。新しいホストファミリーは、とてもインターナショナルな家庭で、ホストファザーはオランダ人、マザーはインドネシア出身で小さい頃に養子としてオランダに来た方でした。そして、5歳年上のホストシスター、2歳年上の養子として迎え入れた韓国出身のブラザーがいました。日本で18年間生活してきた中で、養子を迎え入れたという家族を日本で耳にすることが少なかったため、はじめは少し複雑な気持ちになりましたが、ジョークが大好きなファザーと、面白くていつも子供思いなマザーで、とても温かい家庭でした。そしてホストペアレンツは、私のことも一人の息子として接してくれて、私は本当の家族と過ごしているような気持でいました。お腹がすいたら、冷蔵庫を開けて好きなものを食べていいんだよ、いつも本当の気持ちを伝えていいんだよ、疲れていたらソファに横になっていいんだよ、と伝えてくれ、毎日が本当に充実していました。週末には、オランダの観光地に家族で一緒に行ってオランダを紹介してくれました。
ホストスクール
私はオランダの高校1年生にあたる学年、4VWOに通っていました。オランダでは5歳から18歳までが義務教育であり、世界で最も教育制度の整った国としても知られています。小学校の最終学年にあたる、12歳時に全生徒が全国共通のテストを受け、その結果でその後の進路が決まっていきます。上のレベルからVWO(大学準備教育6年間)、HAVO(一般中等教育5年間)、VMBO(中等職業教育4年間)に振り分けられ、VWOの卒業資格を持った人たちが大学に進学することができます。私は18歳まで無償で質の高い教育の受けられるオランダの制度に感心しましたが、12歳の時にその先の進路がある程度しぼられてしまうシステムはなかなかシビアでもあるなと思いました。
私はホストスクールで、オランダ語、英語、数学2種類、政治、経済、地理、美術、体育などの科目を取っていました。オランダでは、ひとりひとり時間割が異なり、毎日の帰宅時間も異なります。日本のような制服もなく、ほぼ全員が自転車で登校します。そして授業はすべてオランダ語で行われるので、はじめの3ヶ月はとても苦労しました。初めの1か月はオランダ人の話す速度に慣れるので精いっぱいで、いつも友達の助けが必要でした。1学年は80人程で、日本の学校と比べて小規模であったので、みんなが私のことを日本から来た留学生として認識してくれていました。授業中にわからないことがあると、友達が英語で伝えてくれたり、簡単なオランダ語にして、説明してくれたりしました。
ホストスクールに通い始めてすぐの頃に、オランダ語の授業で日本についてのプレゼンテーションをしました。まだオランダ語もすらすら話せず、原稿を見ながらのプレゼンでしたが、みんな私の日本での生活にとても興味を持ってくれて、「あなたのオランダ語すべて理解できたよ」と言われとても嬉しかったのを覚えています。日本の学校と違うところは、全員に学校からラップトップ(ノートパソコン)が貸与されており、ラップトップを使って課題をすることが多いこと、プレゼンテーションをする機会がとても多いこと、1クラスの人数は多くても25人程度と小規模で、生徒と先生の距離がとても近いこと、などなどたくさんありました。
英語教育も日本と大きな違いを感じました。オランダではスピーキングをする機会が多く、毎回の授業で一人がその週に起きた世界のニュースに関するプレゼンテーションを英語でしていました。また、生徒がオランダ語で質問した時、先生は「英語で話しなさい」と言うほどでした。
クラブ活動
オランダの学校には、日本の高校のようなクラブ活動は存在しません。そのため、地域のクラブでスポーツをする人が多かったです。私はスポーツを通じて交流がしたかったので、ホッケークラブとテニスクラブに入りました。放課後、週に1回テニス、約週3回ホッケーのトレーニングに行っていました。ホッケーチームでは、1シーズン試合にも出場することができ、1シーズン合計で8得点決め、チームに貢献することができ、とても嬉しかったです。ホッケーとテニスを通してさらに多くの人と知り合い、友達になることができました。言語は分からなくても、同じスポーツをして楽しめる、スポーツの良さを改めて実感しました。
留学中一番楽しかったこと
私が留学中、一番楽しかったことは、自分の誕生日会を開いたことです。オランダでは、誕生日の人が自分で誕生日会を主催し友達を招きます。私はホストファミリーの家に学校の友達を招いて、18歳の誕生日を祝いました。誕生日の日は、ホストファミリーが盛大に祝ってくれたり、学校で先生や友達がおめでとうと沢山言ってくれたり、バースデーカードを書いてくれたりと、とても幸せでした。
自転車大国オランダ
オランダでは、人口より自転車の数が多い国と言われています。オランダのどこに行っても、自転車専用道路があり、オランダでは歩行者より自転車が優先されます。ここまで9か月オランダで生活してきましたが、自転車を使わない日はなかったと思います。オランダに来てはじめの頃、友達の家に誘われ、ホストファミリー宅から10キロほど離れていたのですが、他の友達と一緒に自転車で行ったのを覚えています。オランダでは、15キロ程度は自転車で行くのがごく普通のことのようです。
オランダの英語能力
オランダの英語力は非英語圏の国の中で世界1と言われており、90パーセントの人が流ちょうに英語を話すことができます。オランダには様々な国出身の人々が住んでいるため、人とコミュニケーションをとるのに、英語が必要不可欠なようです。大都市のレストランに行った際、オランダ人のお客さんがオランダ語で注文しようとしたとき、店員さんが英語でお願いします、言っていたのを見て、とても衝撃的でした。
私が以前、なぜオランダ人はみな流ちょうに英語が話せるのか聞いたことがあります。オランダ人は、オランダは小国であり、アメリカやイギリスなどの英語のテレビ番組が吹き替えされずに放送されており、小さい頃からそれを聞いていたから自然と英語が分かるようになったと言っていました。(オランダ人曰く、オランダのテレビ番組は数が少なく、あまり面白くないそうで、外国の番組をよく見ると言っていました。笑)これもオランダならではの文化なのだと思います。
学校でオランダ語で分からないことがあって、先生や友達に質問すると、すぐにわかりやすい英語で説明してくれました。オランダで実際に過ごしてみて、英語だけで過ごすこともできると思います。しかし、オランダ人同士はもちろん、オランダ語で会話をします。私は友達やホストファミリーの会話に入りたかったので、基本的にオランダ語を使うようにしていました。オランダでは、3か国語を話せる人も少なくありません。学校でも、オランダ語、英語に加えて、フランス語かドイツ語を取る必要があります。英語、オランダ語、ドイツ語はすべてゲルマン系の言語であり、単語や文の構造が似ているところも多くあり、これもオランダ人が多言語を話せる理由の1つなのかなと思います。
オランダで気が付いたこと
オランダは小さな国でありながら、様々な制度が整っています。オランダは世界で初めて同性婚が認められた国であり、同性愛に対してとても寛容な考え方を持っています。実際に、学校にもLGBTのクラスメイトがいました。私は日本で過ごしていた時はあまり耳にする機会が多くなかったのではじめは違和感を覚えましたが、10代のうちから、カミングアウトできる環境が身近にあるすばらしさを感じました。オランダは様々な国からの難民や、養子も積極的に受け入れています。私の2番目のホストファミリーのような家族も、オランダではごく普通でした。ホストペアレンツは、以前難民の方たちの生活を手伝うボランティアをしていたそうで、私も難民や養子制度がとても身近に感じるようになりました。
オランダ留学で得たこと
私はオランダに留学し、沢山の経験、そして沢山のことを学びました。ここにはすべては書ききれませんが、最後に、留学で得た4つのことを書いておきます。
1つ目は家族愛です。オランダでは家族の集まりを非常に大切にしています。身内で誰かが誕生日の時、必ず家族全員で誕生日を祝いに行きます。また、よく頻繁におじいちゃんおばあちゃんの家に行って、一緒にコーヒーを飲んだり、家族で一緒に出掛ける週末があったり、日本よりも家族と一緒に過ごす時間がとても多いです。ホストファミリーにもよく、日本の家族は元気なの?、ちゃんと連絡取ってる?と聞かれていました。日本にいた時よりも、家族の大切さ、そして家族への感謝の気持ちを強く実感するようになりました。
2つ目は日本という国がもっと好きになりました。オランダでは人種差別を感じることはほとんどありませんが、私はアジアというひとくくりにされるのがあまりいい気はしませんでした。日本という素晴らしい国をもっと知ってほしい、留学前は自国について深く考える機会は多くありませんでしたが、留学中、日本について知ってほしいと考えている時間が増え、日本という国に生まれ育ち、日本人としての誇りを持つようになりました。
3つめは自分から行動をおこすことの大切さです。私は日本にいた時から、なんでも自分で行動していくタイプでした。そしてこの留学でこの私の長所がさらに伸びたように感じます。自分から話したおかげで、たくさんの素晴らしい人たちと知り合い、思いもよらない出会いがたくさんありました。
そして最後に、笑顔は世界共通だということです。私は言語が分からなくても、何かつらいことがあっても、いつも笑顔を忘れないように生活していました。笑顔でいると何かつらいことも乗り切れたり、みんなもいつもいい笑顔だねと優しく接してくれたりしました。笑顔は世界共通で、笑顔は人を幸せにすることを本当に強く実感しました。
最後に
最後に、この素晴らしい留学生活に行かせてくれた両親、そしていつもサポートしてくれる家族、EIL、すべての人に感謝いたします。この人生に一度にしかない、特別な経験を最後まで思い切り楽しみたいと思います。
7月31日の帰国まで、約1か月となりました。やり残したことがないように、オランダで得たひとつひとつの出会いを大切に、最高の思い出を残します。
(文章・写真 2021年オランダ派遣 和田悠冴さん)
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