EIL高校生交換留学プログラムの2020年夏派遣プログラムは、新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、原則としてすべて中止となりましたが、一部プログラム参加の強い希望をいただいた生徒については、派遣先国の状況も見ながらプログラムを催行しています。 そのうちのお1人がエストニア派遣のH.Y.さんです。実はエストニア派遣プログラムは2020年派遣から募集を開始し、H.Y.さんが記念すべき第一号です。「エストニア派遣第一号として、自身の留学体験を多くの方に伝えたい!」との思いで、自ら体験レポートの執筆を申し出てくれました。
では、第8弾のレポートをお楽しみください♪
今回のレポートが留学中に書くものとしては最後になります。数か月もあると思っていたのが、あと数日しかないとカウントダウンが始まるのは感慨深いです。5月に入り、友達と会うことができるようになり、学校が始まり、あっという間に過ぎていった一か月でした。
コロナの影響と学校
2月末に学校が再びオンラインになり、4月末にロックダウンが緩和されるまでは、全学年のオンライン授業が続きました。5月上旬からは、タリンでは1から5年生と受験生である9年生と12年生の登校が始まりました。日本と違う点は1から5年生は、学校や公共の場でマスクをする必要がないことです。またバス車内では、マスク着用を呼びかけるアナウンスや張り紙を見かけますが、中高生のグループや、大人の方で着用していない人を多く見かけます。一時は人口132万人(愛媛県、奈良県ほど)に対し、一日の感染者数が2000人近くになることもありましたが、幸い医療崩壊が起こることもなく、今では多くの人がワクチンを接種することができ、感染者は減少傾向にあります。因みに、ファミリーの祖父母は4月上旬の時点で、マザーは5月中旬に、友達の中には5月末に一度目の接種をできた人もいます。人口の少なさが関係しているとはいえ、エストニア在住の外国人も対象者になっていることからも、ワクチン接種が日本に比べ進んでいることが伺えます。
タリンで全学年の登校が再開されたのは5月17日で、夏休みまでの4週間弱を学校に通うことができます。生徒の多くは、ゆっくりできることなどを理由にオンライン授業を好み、私のクラスでは出席率が半分以下になる授業もあり、成績をつける上で先生側の立場としても難しい状態が続いています。また、日本とは異なり自分で授業を選択するので、私の学校では、一限の授業に遅刻してくる人も残念ながら多く見かけます。その一方で私としては、最後にもう一度学校に通えて嬉しい限りです。
留学仲間との再会
5月10日~16日の一週間、学校が再開される前ではありますが、zoomのミーティングを含め、オンライン授業以外の予定が毎日ある幸せな期間を過ごしました。何よりも留学生の友達と、2か月半ぶりに再会できたのがとても嬉しかったです。
久しぶりの再会は、ビーチでのピクニックでした。5月とは思えない20℃越えの気温に心が踊りました。オンライン期間や、お互いの食文化についてなどと、話題が尽きることなく、海で遊んだ時間を含めた4時間半があっという間に過ぎました。水温は泳ぐには冷たいものの、足だけ入る分には気持ちいい程度でした。冬と夏、真逆の海の姿を目にできたことを嬉しく思います。
2日後には、留学団体の希望者でタリンツアーが行われました。1月からエストニアに来たドイツ人の子とはここで初めて会いましたが、すぐに仲良くなることができ、様々な話をすることができました。
初めに、Lennusadamという船と歴史の博物館に行きました。博物館内には昔使われていた船が丸ごと収められていて、その船の中に入ることや、その他の歴史について学ぶことができます。船だけではなく、戦争時に使われた戦車なども展示されており、その大きさに圧倒され、戦争について知れば知るほど悲しい気持ちになります。
その後、日本食屋の「乾杯」という店に行き、夜ごはんを食べました。日本食はヨーロッパの食とは大きく異なるため、エストニア料理を試す以上に彼らにとって勇気が必要だと思います。名前だけではどんなものか想像のできないきつねうどんや、ラーメン、巻きずし(中身が海鮮のもの)を試している姿、箸を必死に使いながら食べる姿を見て、美味しいという言葉を聞いて、日本人としてとても嬉しい気持ちになりました。日本語で乾杯をし、箸の使い方を教え、その後の話題は日本のことになりました。こんなにも離れた場所で、日本食を食べながら、同年代の留学生が興味をもって日本のことを聞いてくれるほど素晴らしいことはありません。日本人の私に出会うことで、日本に少しでも興味を持つ人が増えてくれることを願っています。
最後に、旧市街をガイドの方に案内してもらいました。旧市街に指定されている街ごと世界遺産に登録されています。旧市街内には学校、レストラン、服や小物屋、郵便局、アパート住居があり、特殊な世界遺産の一つだと思います。数々の戦争を乗り越えた教会や、建物が多くあり、修復工事が行われながら大切に保管されていて、旧市街を丸く囲む塀が所々残されているため、私が住む場所とは一風変わった景色が広がっています。観光客だけではなく、友達と会う場所として市民からも愛されている場所です。留学前に写真を見たとき、魅了された場所の一つでもあるので、是非一度訪れてみてほしいです。
サーレマー島旅行
その週の週末には、留学生で1泊2日でSaaremaaとMuhuという島に旅行に行きました。コロナの影響で諦めていた留学生との旅行を、最後の一か月で実現できたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。この週末、タリンでは雨、雹が降る中、Saaremaaでは天気に恵まれ、これまで過ごした週末で一番充実していて、楽しすぎる時間を過ごすことができました。
まず、サーレマーは写真の場所に位置しており、30分のフェリーでMuhu islandにつくことができます。サマーハウスをSaaremaaに持つエストニア人が多く、週末や3か月に及ぶ夏休みをここで過ごす人が多くいます。私の場合、夏休みは友達と遊んだり、勉強や部活をして過ごすため、なぜ学校の友達に会わずに、一か所で過ごすのかと不思議に感じていましたが、実際にSaaremaaに行くと、タリンと異なりさらに自然が身近にあり、時間をゆっくり感じられたので、彼らの気持ちが少し分かった気がしました。
Muhu島 では昔の人の暮らしが残されている博物館と、その地域を案内してもらいました。建物は基本平屋で、ドアなどがとても小さい印象を受けました。ソビエト支配の時代、小さな暖炉しかない部屋で、小さめのシングルベットに2人で寝ていたことから、いかに過酷な生活だったのかということが想像できます。また、Muhuには伝統の服があります。一つ一つ特別な縫い方で刺繍されており、明るい色が使われているのが印象的です。
昼食後に、島間の橋でSaaremaaに渡り、Kuressaareに行きました。ここは、人口1万人ほどの都市で、旧市街だけではなく、海に面する城を見に行くことができました。この城は、2月末に行ったNarva城と少し似ている印象を受けました。
その後、宿泊施設兼ウォーターパークのPidulaforellという場所に行きました。
ここに住んでる方もいれば、旅行で泊まることもできる場所で、釣り堀、サウナ、ウェイクボード、カヌーができる場所もありました。ご飯の後に、2キロ離れたビーチへ行き、サンセットを見ることができました。エストニアに来て、初めての経験だったので、その綺麗さに心を打たれました。夜はサウナにみんなで入り、気温8℃ほどの中、2度も池に飛び込みましたが、楽しさのあまり、寒さは全く感じられませんでした。夜11時ごろからのキャンプファイヤーで食べたマシュマロは、最高に美味しかったです。
次の日の午前中には、気温は13℃ほどでしたが、人生初めてのウェイクボードを体験することができました。初めての場合、立って滑れるまでに10回近く練習する必要があると聞きましたが、ほとんど全員が2、3回目で立つことができたのです。さすがに、寒さを感じたので、前日に引き続きサウナで温まりました。日本に帰るとサウナに入る機会が減るのが少し残念です。午後には、Angla風車公園にいきました。ここには、12個の風車がありましたが、ソビエト時代に風車は贅沢品として扱われたため、撤去され、数個のみが残されています。風車で貯めたエネルギーは、木材加工に使われていたそうです。
帰りのフェリーは日曜日の夕方だったこともあり、沢山の車で混雑していました。私たちは車2台で行っていたのですが、あるトラブルから運悪く、3隻の船を逃し1時間半ほど港で過ごすことになりましたが、これもいい思い出です。
最後に
今回のレポートは、留学を考えた際に誰もが夢見る、留学生とのイベントについて多く書きました。一人でも多くの人が、エストニアに興味を持ってほしいという思いから、どんな景色を見ることができるのか、どんなことができるのかということを、旅行した際の写真とともに書かせてもらっています。ここで誤解しないで欲しいことは、留学生活は私のレポートから伝わるであろう、楽しいことだけではないということです。うまくいかない苦い経験を沢山したからこそ、留学終盤で行えた旅行がさらに充実したものになったのだと私は思います。
最後に、6月中旬の帰国までの時間を悔いの残らないように過ごせたらいいなと思います。読んでいただき、ありがとうございます。
(文章・写真 2020年エストニア派遣H.Y.さん)
2020年エストニア派遣H.Y.さんの留学体験記はコチラ。
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